女子卓球選手の木原美悠(きはら みゆう)選手の父親として知られている木原博生(きはら ひろき)さん。
博生さんは元卓球選手だったとのことですが、どのような経歴で現在まで至るのかが気になります。
今回は、女子卓球選手・木原美悠さんの父、木原博生さんのwikiプロフや経歴、学歴について紹介します。
木原博生のwikiプロフ
博生さんのプロフィールは以下のとおりです。
名前:木原博生(きはら ひろき)
生年月日:1970年7月11日
年齢:54歳 ※2024年8月現在
出身地:兵庫県明石市
家族構成:妻、子ども4人(上から長女・長男・次女美悠さん・次男)
職業:卓球教室経営者兼指導者
博生さんには4人のお子さんがいて、美悠さんは3番目のお子さんになります。
博生さんは子どもたちに囲まれてにぎやかな日々を過ごしたのでしょうね!
木原博生は木原美悠の父親
博生さんの次女・美悠さんはパリオリンピックではリザーブとして帯同し、日本の女子卓球選手としてすっかり有名になりました。
次のロスオリンピックでは選手として出場する可能性もある美悠さんを娘にもった博生さんは、美悠さんについて次のように話します。
何に対しても人より覚えることが早かった。
素質は十分あると思う。
美悠には日本トップの選手になってほしい。
卓球選手としての美悠さんの素質を誰よりも早く見抜いていた博生さん。
また、卓球で厳しく指導する分、日常生活では自由にしていたといいます。
卓球と日常のオンオフの切り替えをすることで、卓球選手としても親子としても良好な関係をきずいてこられたのでしょうね!
木原博生は元卓球選手
博生さんは中学から卓球を始め、高校では高校総体の団体でベスト16まで進出した経験をもちます。
高校卒業後は就職して営業マンとして勤務していた博生さんは、どういったいきさつで卓球スクールを経営することになったのでしょうか。
経営するスクールの熱血指導者
就職してしばらく経ってから、知り合いに声をかけられクラブチームでコーチをするようになったそうです。
最初は仕事をしながらコーチ業に取り組んでいたそうですが、残業などで指導が中途半端になることを嫌い退職。
そこから独立して卓球スクール『ALL STAR』を設立したのだといいます。
退職して独立するのは勇気がいったけど、ダメだったらまた違うことをしたらいいと思って。
勇気を出して卓球指導者の道を選んだ博生さん。
卓球に対して真剣に向き合っているのがよく伝わりますよね!
また、博生さんは美悠さんに対してどんな指導をしていたのでしょうか。
・練習は学校が終わってから午後10時頃まで
・休みは日曜だけ
・「しんどい」と言っても無理やりやらせていた
※一部引用:スポーツ報知
幼い美悠さんにはやや厳しすぎる練習のようにも感じられますが、美悠さんはその成果をみせるようになります。
小学1年生で全国制覇したのを皮切りに、美悠さんは次々に結果を出します。
美悠さんは覚えが人一倍早く、4年生頃からはほとんど手がかからなかったと博生さんはいいます。
一方で、長男に対しては厳しく教えるなど、1人1人に合わせたコミュニケーションをとりながら指導していたようです。
それぞれの個性や資質を見抜き、実力を伸ばすための指導を考えて実践している博生さん。
そんな博生さんのもとで育った美悠さんが才能を開花させ、日本代表に選出されたのも納得ですよね!
木原博生の学歴
博生さんの学歴は以下のとおりです。
出身中学校:明石市立二見中学校
出身高校:滝川第二高等学校
詳しく紹介していきますね!
出身中学校:明石市立二見中学校
〒674-0094 兵庫県明石市二見町594
中学から卓球を始めたという博生さん。
博生さんの卓球人生はこのときから始まったのですね!
出身高校:学校法人瀧川学園 滝川第二高等学校
〒651-2276 兵庫県神戸市西区春日台6丁目23
滝川二高は私立の高校で偏差値は49~65で、兵庫県内では中堅クラスの偏差値だそうです。
博生さんはこの高校で2年生のときに、団体で高校総体ベスト16まで進出したそうですよ!
まとめ
女子卓球選手・木原美悠さんの父、木原博生さんのwikiプロフや経歴、学歴について紹介しました。
美悠さんの選手としての基礎を築いた博生さん。
経営する卓球スクールで、これからも未来の卓球選手を育ててほしいですね!
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